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更新日:2026年4月15日
瀬戸内町には、奄美大島の南側と加計呂麻島の間に、大島海峡が広がっています。かつて大島海峡は、艦船の補給地など、軍事上の拠点として日本の国土防衛上重要な場所でした。明治期から第2次世界大戦終結まで、当時の社会情勢に連動する形で旧日本陸軍・海軍の軍事施設が数多くつくられました。町内に今なお残る軍事遺跡は、日本の近代史において重要な遺跡であることがわかっています。本町の6遺跡が、国史跡に指定されています。
奄美大島要塞跡及び大島防備隊跡 附 大島需品支庫跡(あまみおおしまようさいあとおよびおおしまぼうびたいあと つけたり おおしまじゅひんしこあと)
構成遺跡:西古見砲台跡、安脚場砲台跡、手安弾薬本庫跡
構成遺跡:大島需品支庫跡、大島防備隊本部跡、第18震洋隊基地跡

| 構成遺跡名 | 所在地 | 時代 | |
|---|---|---|---|
| 西古見 | 大正期 | PDF:948KB | |
| 安脚場 | 大正期 | PDF:852KB | |
| 手安 | 昭和期 | PDF:714KB | |
| 久慈 | 明治期 | PDF:1,007KB | |
| 瀬相 | 昭和期 | PDF:865KB | |
| 呑之浦 | 昭和期 | PDF:1,057KB |
西古見砲台跡は瀬戸内町西古見(奄美大島の西端)に所在する遺跡です。
1921(大正10)年に砲台建設が開始され、1940(昭和15)年に28糎榴弾砲が配備されました。
現在、砲座跡4基、砲側庫跡2基、砲台弾薬庫跡、観測所跡2基などが残っています。
第2観測所跡は公園化されており、見学可能です。
観測所跡内部から大島海峡を望むことができ、観測用窓上部壁には海峡内の島影を精緻に描いた絵図を見ることができます。

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西古見砲台跡(全景) |
第2砲座跡・第1砲側庫跡 |
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第2観測所跡 |
第2観測所跡・観測用窓上部壁絵図 |
安脚場砲台跡は瀬戸内町渡連(加計呂麻島の東端)に所在する遺跡です。
1921(大正10)年に砲台建設が開始され、陸軍撤退後は、海軍により使用されました。
大島海峡東口から侵入する敵艦を阻止するため、海峡東口の海中に管制機雷を設置し、衛所で聴音、監視を行っていました。
現在、陸軍建設の砲座跡4基、砲側庫跡2基、海軍が建設した衛所跡などがあります。
公園化されており、上記施設を見学することができます。

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大島海峡東口および安脚場砲台跡(遠景) |
安脚場砲台跡(全景) |
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衛所跡(遠景) |
砲側庫跡 |
手安弾薬本庫跡は瀬戸内町手安に所在する遺跡です。
1931(昭和6)年頃から、奄美大島要塞全砲台用の弾薬庫(火薬庫)として建設されました。
弾薬庫は3基建設され、いずれも「洞窟式」で、内部は2重構造となっています。第2および第3弾薬庫は連絡通路でつながる形状です。
現在、第2および第3弾薬庫跡を見学することができます。

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手安弾薬本庫跡(全景) |
第3弾薬庫跡(入口) |
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第2弾薬庫跡および連絡通路跡 |
第3弾薬庫跡(内庫) |
大島需品支庫跡は瀬戸内町久慈(奄美大島の西)に所在する遺跡です。
1890(明治23)年に佐世保鎮守府の艦船用需品を保管する施設として、石炭庫と番舎が建設されました。その後、水溜、取水口、濾水池、棧橋などの施設が次々に建設されました。現在する施設は水溜跡、取水口跡、濾水池跡があり、見学可能な施設は水溜跡のみです。
水溜跡は総レンガ造構造物で、奄美大島本島内で最古の軍事施設跡です。建設当時は艦船用の給水施設(水タンク)として機能しました。水はカッター船を利用し、久慈湾沖合に停泊する艦船へ運ばれました。

令和7年の追加指定により、当該施設は明治期に建設された施設であることから、国指定史跡名として明治期の施設名称である「大島需品支庫」を採用することになりました。
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大島需品支庫跡(全景) |
水溜跡(近景) |
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水溜跡(内部) |
大島需品支庫跡(集落民による復元図) |
大島防備隊本部跡は瀬戸内町瀬相(大島海峡の中央、加計呂麻島の瀬相湾一帯)に所在する遺跡です。
1941(昭和16)年に大島防備隊の前身である「大島根拠地隊」が編成され、瀬相に部隊が配備されます。翌1942(昭和17)年に大島根拠地隊は佐世保防備戦隊に編入され、「大島防備隊」として、陸軍の奄美大島要塞と連動し、大島海峡全域の防備を任務としました。
大島防備隊の管轄範囲(部隊配備地)は奄美大島、喜界島、口之島、宝島、沖永良部島と広く、そのため、瀬相には戦闘指揮関係だけでなく、物資保管・補給、通信、補修や修繕に関する様々な施設が建設されました。
現存する施設は、戦斗指揮壕跡、ドック跡、弾薬庫跡、土塁跡、待避壕跡、防空壕跡などがありますが、慰霊碑公園として整備されている区域のみ見学可能となっています。

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大島防備隊本部跡(遠景) |
戦斗指揮壕跡および旧海軍慰霊碑 |
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戦斗指揮壕跡(入口) |
戦斗指揮壕跡(内部) |
第18震洋隊基地跡は、瀬戸内町吞之浦(大島海峡の中央、加計呂麻島の呑之浦湾一帯)に所在する遺跡です。
第18震洋隊は大島海峡内3箇所に配備された震洋隊の1部隊です。南洋諸島の陥落後、沖縄に対する敵の攻略意図が明確になると、奄美大島は補給および海上特攻作戦の前線基地となるため、特攻部隊を配備することになりました。
第18震洋隊は1944(昭和19)年11月に大島防備隊に編入、配備され、防備隊本部が所在する瀬相湾の東側、呑之浦湾一帯に基地施設を構築しました。建設当時は震洋艇格納壕、本部施設、兵舎等が建設されましたが、現在は格納壕の一部のみ見学可能です。また、第18震洋隊隊長であり、近代戦争文学をけん引した島尾敏雄氏を顕彰する「島尾敏雄文学碑公園」が見学可能となっています。

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第18震洋隊基地跡(全景) |
第18震洋隊基地跡(海上から) |
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第5格納壕跡(入口) |
第1格納壕跡(内部) |
国指定史跡については、指定地内の現状を変更する場合は、着工前に国・町へ現状変更許可申請を行い、許可を受ける必要があります。(当該地が周知の埋蔵文化財包蔵地の場合、行為内容によっては別途、埋蔵文化財発掘の届出も必要な場合があります。)
現状変更の許可がおりるまでの期間は2~3か月程度かかります。
工事等現状変更予定地が史跡指定範囲内に該当するか、また上記行為に該当するかご不明でしたら、計画の段階で瀬戸内町埋蔵文化財センター(電話番号:0997-76-3004)へお問合わせください。
国指定史跡は、「我が国の歴史の正しい理解のため欠くことができず、かつ、その遺跡の規模、遺構、出土遺物等において、学術上価値のあるもの」であり、文部科学大臣によって指定されます。
国指定史跡となった遺跡は、今後、将来にわたり守るべき国の文化財、地域の文化財として、文化財保護法に基づき保存していく必要があります。現状の変更等を行うためには、国の許可が必要となります。


瀬戸内町埋蔵文化財センター

瀬戸内町役場水産観光課
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