ホーム > 教育・文化・スポーツ > 文化 > 各遺跡の概要(「奄美大島要塞跡および大島防備隊跡 附 大島需品支庫跡」)
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更新日:2025年6月20日
※令和7年6月20日に追加指定の答申を受けた3遺跡
大島需品支庫跡は瀬戸内町久慈(奄美大島の西)に所在する遺跡です。
1890(明治23)年に佐世保鎮守府の艦船用需品を保管する施設として、石炭庫と番舎が建設されました。その後、水溜、取水口、濾水池、棧橋などの施設が次々に建設されました。現在する施設は水溜、取水口、濾水池があり、見学可能な施設は水溜のみです。
水溜は総レンガ造構造物で、奄美大島本島内で最古の軍事施設跡です。建設当時は艦船用の給水施設(水タンク)として機能しました。水はカッター船を利用し、久慈湾沖合に停泊する艦船へ運ばれました。
今回の追加指定により、当該施設は明治期に建設された施設であることから、国指定史跡名として明治期の施設名称である「大島需品支庫」を採用することになりました。
※鹿児島県の周知の埋蔵文化財包蔵地としての遺跡名称は、これまで通り「佐世保海軍軍需部大島支庫跡(終戦間際の施設名称)」となります。
大島需品支庫跡(全景)
大島需品支庫跡(水溜)
大島防備隊本部跡は瀬戸内町瀬相(大島海峡の中央、加計呂麻島の瀬相湾一帯)に所在する遺跡です。
1941(昭和16)年に大島防備隊の前身である「大島根拠地隊」が編成され、瀬相に部隊が配備されます。翌1942(昭和17)年に大島根拠地隊は佐世保防備戦隊に編入され、「大島防備隊」として、陸軍の奄美大島要塞と連動し、大島海峡全域の防備を任務としました。
大島防備隊の管轄範囲(部隊配備地)は奄美大島、喜界島、口之島、宝島、沖永良部島と広く、そのため、瀬相には戦闘指揮関係だけでなく、物資保管・補給、通信、補修や修繕に関する様々な施設が建設されました。
現存する施設は、戦斗指揮壕、ドック、弾薬庫、土塁、待避壕、防空壕などがありますが、慰霊碑公園として整備されている区域のみ見学可能となっています。
大島防備隊本部跡(遠景)
戦斗指揮壕跡
第18震洋隊基地跡は、瀬戸内町吞之浦(大島海峡の中央、加計呂麻島の呑之浦湾一帯)に所在する遺跡です。
第18震洋隊は大島海峡内3箇所に配備された震洋隊の1部隊です。南洋諸島の陥落後、沖縄に対する敵の攻略意図が明確になると、奄美大島は補給および海上特攻作戦の前線基地となるため、特攻部隊を配備することになりました。
第18震洋隊は1944(昭和19)年11月に大島防備隊に編入、配備され、防備隊本部が所在する瀬相湾の東側、呑之浦湾一帯に基地施設を構築しました。建設当時は震洋艇格納壕、本部施設、兵舎等が建設されましたが、現在は格納壕の一部のみ見学可能です。また、第18震洋隊隊長であり、近代戦争文学をけん引した島尾敏雄氏を顕彰する「島尾敏雄文学碑公園」が見学可能となっています。
第18震洋隊基地跡(全景)
第18震洋隊基地跡(第5格納壕跡)
お問い合わせ
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瀬戸内町社会教育課埋蔵文化財センター
電話番号:0997-76-3004
E-mail:maizou@town.setouchi.lg.jp
■見学・観光に関するお問合わせ先
せとうち海の駅観光案内所
電話番号:0997-72-1199
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